私たちは全ての記憶を残したいのか? - SEASON: A letter to the future
私たちは全ての記憶を残したいのか? - SEASON: A letter to the future
一言でいうと、記憶というものをどのような形で、そしてどれくらい残すかについて考えるきっかけとなる作品だった。
本作は、インスタントカメラとテープレコーダーを使ったアナログな方法で、世界の出来事を記録していく物語である。スマホが当たり前の私たちにとって、こうしたアナログな方法で記録するということは、実際に体験したことがない人でもどこか懐かしく感じるだろうし、つい色んなものを記録してしまう。
このゲームでは、未来の人々のために今というさまざまな記憶を残していくことが目的だ。そのための手段として、写真を撮ったり音声を録ったりすることで、どのような記憶を残すのかを取捨選択していく。記憶を残すという観点で捉えた場合、写真と音声だけというのはあまりにも限定的な情報である。情報量という面で考えると、少なくとも映像のほうが圧倒的に優れている。ではもしも、360度を自由に動画撮影できるカメラを持っていたらどうなるだろうか?そしてそれを3Dデータ化して仮想空間で完全再現できるとしたら?
ゲーム体験としては全く味気ないものになってしまうが、記憶を残すことの解釈は少し変わってくるかもしれない。テクノロジーの進化に伴い、これまで不可能だったことが可能な世の中になっていく中で、私たちは更なる便利なものを自然と求めるようになった。しかし、それと引き換えに何かを失っているのかもしれないと思う場面がよくある。あらかじめ言っておくが、だからといって脱成長などを主張したいわけではなく、やはり変化していくこと自体は生物にとって大切ではある(ダーウィンの『種の起源』はぜひ読んでほしい)。
例えば今回のカメラを例に挙げて考えてみよう。今では写真を撮るといえば、デジタルカメラ(スマホ)が一般的だが、ひと昔まえまではフィルムカメラが主流だった。詳しい説明は省くが、フィルムよりデジタルのほうが現在の大衆文化の中ではあらゆる面で優れている。それは1枚あたりのコストだったり、共有の手軽さだったり。
だが、そんなデジタルカメラでも「シャッターチャンスを逃す」という弱点がある。それを克服するためにiPhoneなどにはLiveフォトという機能があり、シャッターを押す前後1.5秒ずつを録画することで、好きな瞬間を切り取れる、といったものだ。確かに便利な機能だ。しかし、それでもシャッターチャンスを逃してしまうこともあるだろう。
では、もしも絶対にシャッターチャンスを逃すことがないカメラがあったら、人々は欲しいと思うだろうか?自分の視界を24時間録画再生することができる電脳のような世界が実現したら、私たちは「ついに人生の全ての瞬間を記録することができるぞ!」と喜ぶのだろうか?全ての記憶を残すことが招く危険性というのも、同時に考えていかなくてはならない。Netflixのブラックミラーにこのようなテーマを扱った作品があるので、興味のあるかたはぜひ。
つまり、便利になるとはどういうことなのか。必ずしも「便利=良い」という方程式が成り立つわけではないことは、私たちも薄々勘付いている。しかし、今さらスマホやデジタルカメラを捨てて、フィルムカメラだけで撮影しろとは言わないし、自分もそんなことをしたくはない。
では実際に、一年で何百枚何千枚とスマホでパシャパシャと写真を撮って、果たして思い出として残っているものはどれくらいあるのだろうか?確かに、思い出として残っていなくても、データとしては残っているからあとでいくらでも見返して思い出すことはできる。しかし、それは本当に「残っている」と言えるのだろうか?気軽にたくさん撮れる便利さを引き換えに、一枚一枚に対する思い入れが薄くなってしまっているのは、当然と言えば当然だがなんとも皮肉な話である。
今はまだ、眼球にカメラを仕込んで視界を録画するというような世界ではないが、いずれ起こってもおかしくない未来ではある(カメラ付きメガネがもう少し進化すれば似たようなことはできるだろう)。そういう未来を実現するかしないかを決めるのは、他でもなく私たちである。例えば、クローン人間の製造が技術的に可能でも禁止されているのは、我々が「これはやばい」と満場一致で思っているからだ。
とある国では、セキュリティを名目に街中にカメラが設置され、市民は24時間監視されている。顔認証を導入して、一人一人の行動を完全に把握することだって、技術的には可能な話だろう。こう聞くと、いかにもディストピアな世界のように感じるだろう。しかし、ドライブレコーダーはどうだろうか?事故の証拠を示すものや煽り運転の抑止力として、多くの人が抵抗なく付けている。街中の監視カメラだって、見方を変えれば犯罪の抑止力として捉えることもできる。その延長線で、自己防衛のために国民一人ひとりが自らの視界を24時間録画するような社会だって、場合によっては起こりうるかもしれない(街中で何かトラブルに巻き込まれたら証拠を残すために、すぐにスマホで撮影する人がもう既にいるように、似たような現象は起きているともいえる)。
こうした問題について、我々は答えを出さずともなんとなくでも一度考えておく必要があるだろう。
このゲームでは、あえて限定的な手段である写真と音声にスポットを当てることで、日常生活の記憶をどのような形で、そしてどれくらい残していきたいのかを考えるきっかけとなる作品だった。ゲームシステムの部分には全く言及していないが、今回は「もし自分がこのゲームの作者だったらこんな部分に触れてほしいな」という自分勝手な妄想でつらつらと書いてみた。これから起こりうる未来について、立ち止まって考えるきっかけとなるような作品を作っていきたい、と思わされる素晴らしいゲームだった。
2023/05/29