頭部移植?胴体移植?追いつかない倫理観

 
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頭部移植?胴体移植?追いつかない倫理観

 
「救える命があるなら救うべきだ」という信念のもとに日々進歩し続ける医療技術に対して、疑問を抱いたことはあるだろうか?
次回作のゲームに登場予定のキャラ
次回作のゲームに登場予定のキャラ
一見聞こえはいい問いかけだが、多くの人にとってそのような疑問は不要なものである。なぜなら医療によって受ける恩恵のほうが、現時点では圧倒的に大きいからだ。例えば、これほどまで日本の平均寿命が伸びたのは、主に医療技術の進歩のおかげ(他にも食生活や公衆衛生など)だと言われている。長生きすることがいいことなのかという問題は置いといて、私たちは救える命は救うべきだとなんとなく思っている。
 
しかし、世の中には医学目的と称して異常な研究をしているものがいる(いや、彼ら自身はいたって正常だと思っているかもしれない)。その代表が、タイトルにもある通り、人間の頭部移植である。いや、正常に動く脳を持ったレシピエントが、ドナーから首から下の胴体を提供してもらうため、(心臓移植というように)胴体移植というべきだろうか。
 
まずそんなことが技術的に可能なのかということも驚きだが、実は現時点で「生きた状態で」頭部を移植する手術を、実際に受けることができてしまうのだ。先に結論をいっておくと、2017年に中国でこの手術が行われようとしていたのだが、その直前になって手術予定だった被験者が拒否したことによって、この計画は白紙となってしまったのだ。では実際に、どのような経緯で手術が行われようとしていたのか、そしてその技術的、倫理的問題について少し考えてみたい。
 
このいかにも批判の的になりそうな研究に取り組んでいるのは、イタリアの神経外科医セルジオ・カナヴェーロ博士という男だ。彼は2016年に生きた状態でのサルの頭部移植を成功させており、また共に研究を行う中国のシャオピン・レン博士は2017年にラットで同様の手術を成功させている。そして、足を引きずりながらではあるがなんとか歩く術後のラットの姿が公開されている。彼らは成功だったと発表しているが、このサルはどうやら20時間後に道徳的理由で安楽死させられたらしい。なんとか血管はつなぐことができたため、目を開けたり呼吸をしたりできたものの、脊髄の接続に失敗し首から下を動かすことができなかったようだ。
 
そして彼らの実験の対象は、ついにヒトへとたどり着く。それは脳死状態の2人の遺体を使って、Aの遺体の頭部をBの遺体の胴体へと接合するという試みだった。この実験は中国で行われ、18時間に及ぶ手術の末、彼らは成功したと発表し、「次は生きている人間を使ってこの手術をする予定だ」と言い出したのである。
脊髄性筋萎縮症を患うスピリドノフ氏
脊髄性筋萎縮症を患うスピリドノフ氏
そして被験者を探していたところ、脊髄性筋萎縮症(首から下が動かない状態)を患ったロシア人コンピュータ・サイエンティストのスピリドノフが自ら名乗り出たそうだ。幼い頃から車椅子生活を余儀なくされており、「失うものは何もない」と死をも覚悟している様子だった。そして2017年、いよいよ手術が行われようとしていたとき、そのロシア人被験者が直前になってキャンセルを申し出たのだった。実は自ら被験者に名乗り出てから、彼に恋人ができたのだった。生きる意味を取り戻した彼は、カナヴェーロ博士に、条件として「少なくとも手術から生還すること」と要望するがそれは約束できないと言われてしまい、手術をキャンセルこととなってしまった。
 
その後、カナヴェーロ博士は新たに中国人の被験者を見つけたと発表し、引き続き実験が行われているようだが、今のところこれ以上の詳細はまだのようだ。かなりハイペースで実験を行っていたことを考慮すると、2023年の現在まで音沙汰がないのはつまり既に何人かが犠牲になってしまっているのだろうか…。

どんなことについて話し合うべきなのか?

 
調べてみると現時点では、倫理的に大丈夫なのかという心配よりも、技術的側面、つまり「そんなこと可能なのか?」という疑いの声が多かったように思う。確かに今の段階では、生きている人間を使って手術を成功させるのは到底不可能のように思う。しかし、すぐにとは言わないが他の臓器移植のような技術レベルまで到達するのも時間の問題なような気もする。
 
技術的にできるようになったとしても、果たして倫理的な観点から人間にそんな治療を施していいのだろうか?臓器移植まわりの問題は、意外と規制が緩いというかあまり議論が進んでいないように思う。というのも、頭部移植のようなグレーゾーンな研究も(建前上は)全て医療目的であって、決して永遠の命を追求するためのものではない。そのため、先程のロシア人被験者のように、他に為す術がなく途方に暮れている患者にとっては救世主となる可能性もあることから、一概には禁止ということもできないのだろう。例えば、この技術の延長線で一線を超えてしまい世界的に(中国でも)禁止とされているのは、クローン人間の生成である。いくら臓器提供の新たな解決策となる役割があるとはいえ、同じ人間がこの世に2人存在する、というのは誰がどう考えても度を超えている、という結論に至ったのだろう。
 
実際に、この頭部移植手術は日本を含めほとんどの国で倫理的にNGが出てしまい、実現することができなかった。しかし、現時点で中国ではこの手術を行うことができてしまうのだ。といっても別に、この手術を世界的に禁止にしようとかそういう話がしたいわけではない。もし、この技術が確立され、高い安全性が世界的に証明されれば、この手術を法的に許可する流れになるかもしれない。そうなるときが来る前に、私たちはどのような倫理的側面について話し合いをすべきなのだろうか?
イタリアの神経外科医セルジオ・カナヴェーロ博士
イタリアの神経外科医セルジオ・カナヴェーロ博士
まず、すぐに思い浮かぶのが、頭部を移植してもらうレシピエント側と、提供するドナー側の年齢差についての問題だ。現在、臓器提供に関する年齢制限というのは、ドナーは概ね60歳以下が望ましいということ、そしてドナーとなる意思表示ができるのは15歳以上ということだけだ。つまり、50歳のおじさんが大学生の心臓を移植してもらうのも問題ないし、逆に大学生がおじさんの肺を移植してもらうこともできるということだ。
 
これは通常の臓器提供のケースでいえば特に問題はないが、胴体まで移植できるとなると話は変わってくるだろう。もちろん、首から下だけ若くても脳細胞は死滅していくため、これだけで永遠の命を手に入れることは到底できないだろうが、自ら交通事故を起こすなどして治療を施してもらい、合法的に若い肉体を手に入れようとする者だって出てくるかもしれない。これを過激で馬鹿げた話かと思うかもしれないが、実際に2022年プーチンが大規模な動員令を出した際に、招集を逃れるためにネットで「腕を折る方法」という検索ワードが急増するという出来事があった。頭部移植が技術的に当たり前の世界になったら、今よりも全体的に医療技術も進歩していくだろうし、自ら事故を起こすことだってあまり恐怖を感じなくなることもあるかもしれない。とはいえ、ただでさえドナーが恒久的に不足している状況で、さらに厳しい年齢制限までしてしまうのはどうなのか、という懸念もあるだろう。
 
では、もう少し大げさな話をすると、胴体を移植してもらう際に性別の制限は必要だろうか?そんなの当たり前に必要だろと思うかもしれないが、現時点で臓器移植においては性別の制限はなく、異性による移植は可能である。通常、腎臓や心臓などの移植の場合は、適合率の観点から同性のドナーのほうが望ましいと言われてはいるが、特にそれを制限する法律はなく、実際に異性間での臓器移植は多くはないが行われている。また、驚くべきことに臓器だけでなく、インドでは世界で初めて男性の両腕を移植してもらった女性がいるのだ。
交通事故で両腕を失い移植手術を受けたシュリヤ・シッダナゴウダー氏
交通事故で両腕を失い移植手術を受けたシュリヤ・シッダナゴウダー氏
確かに腕そのものには性別的なものはないが、初めてこれを見たときは衝撃を受けた。肌の色が異なるというのは些細なものとして、何より移植された男性の両腕は明らかにゴツゴツしている。しかし、一番驚いたのはその後だ。なんと、移植された両腕の皮膚が徐々に薄くなり、手首や指も女性らしくほっそりしてきたというのだ。これには手術を担当した医師もびっくりした様子で、おそらくホルモンが関係しているのかもしれないとのことだった。つまり、やってみないとわからないことがまだまだ多い分野なのだろう。

宗教と生命の関係

 
ここまで進み続けると、正直どこまで医療を施してよいのかが少しわからなくなってくる。もちろんこういった研究者や医師は、インタビューで「救える命は救いたい」と言ってはいるが、こうした議論には宗教も少なからず関係してくるのでかなり厄介だ。例えば、キリスト教では臓器移植に対して”service of life(命の奉仕)”という考えを持っており、アメリカやヨーロッパでは臓器移植手術が日本と比べて盛んに行われている。単にそういった問題に対して意識が高いということではなく、実際にスペインやフランスなどのヨーロッパの多くの国はオプトアウト方式を採用しており、これはつまり国民全員が自動的にドナーとして登録される(ドナーになりたくたい場合は申告する)という仕組みだ。
青:オプトイン | 緑:オプトアウト
青:オプトイン | 緑:オプトアウト
 
一方、エホバの証人という宗教団体では宗教上の理由により輸血が禁止されており、1992年日本に住むエホバの証人の信者が、手術の際に無断で輸血を行った医師と病院に対して損害賠償を求めるという事件があった。担当した医師によると、輸血をせずに患者を死なせてしまった場合は、殺人罪になってしまうらしく、その患者の手術中に輸血する以外に命を救うことができないと判断して輸血を行い、無事に手術は成功した。この他にも、医師から「輸血すれば助かるかもしれない」と言われたが、自身の子供への輸血拒否をしたことによって無念にも死亡させてしまった事件も起きている。「宗教上の理由で輸血を拒否するとはなんて野蛮な考えなんだ!」と日本中から声があがったことは言うまでもないだろう。
 
いつか遠くない未来で、「頭部移植を拒否するなんて馬鹿げた倫理感だ」と言われてしまう日が来てしまうのだろうか。
 
 
2023/09/12